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杉森さん、教育はコロナ禍を経てどう変わっていきますか? (ゲスト : 杉森公一さん第1回)

PLAZMA TALK #9|金沢大学 国際基幹教育院 高等教育開発・支援部門 准教授 杉森 公一氏

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Treasure Dataでエバンジェリストを務める若原強が各界注目のゲストを招いて対談するシリーズ「PLAZMA TALK」。

今回のゲストは、金沢大学の国際基幹教育院 高等教育開発・支援部門で准教授を務め、教育開発を専門としている杉森公一さんです。

今回は教育 × デジタルについて考えていきます。

COVID-19は教育の現場においても激烈な変化をもたらしています。
働き方研究家時代から「働く」と「学ぶ」の関係性が気になり続けている若原と、テクノロジーの活用で様変わりする講義のあり方から教育の現在・過去・未来について杉森さんと語り尽くします。

本対談は3回に分けて配信いたします。初回は、「教育はコロナ禍を経てどう変わっていくか」を伺います。

Topics

高校と大学の学びをつなぐ/学ぶのは「教え方」/「反転授業」はアメリカ生まれ/授業を収録する/対面の価値/MOOCとは/Zoom越しに目が合う体験/学びの主導権の反転/教壇から降りてファシリテーターへ/オンライン授業はキャズムを越えた/「アクティブラーニング」と反転授業/「アクティブに学びなさい」という矛盾/映画の感想を語り合うように/教員は触媒役/失敗を見せる、目線を合わせる/従順な労働者を育てることを目指すのか/社会を創る主体/自立性と自己裁量/自律的なアクティブワーカー

Kimikazu Sugimori: Associate Professor, Kanazawa University
Tsuyoshi Wakahara: Evangelist, Treasure Data
Recording: 2020/04/28

※収録はオンラインにて行っています。一部背景に環境音が入っている箇所あります。ご了承ください。

若原 皆さん、こんにちは。トレジャーデータの若原です。様々なゲストをお招きして普段のご活動について伺いつつ、データ活用の可能性などにも触れていくTreasure Dataの「PLAZMA TALK」。

今日の素敵なゲストは、金沢大学国際機関教育院 高等教育開発・支援部門 准教授の杉森公一さんをお招きしています。杉森さん、よろしくお願いします。

杉森 よろしくお願いします。

若原 杉森さんは教育開発分野をご専門にされていて、大学教育のあり方や、大学教員向けの研修などに取り組まれています。

民間企業に例えると、人事部のような組織で人材開発のようなことに携わられている、というのがわかりやすいかもしれません。

かなりいろいろなことをされてきたと伺っていますが、今日はこれまでの取り組みの中でも、私も非常に興味のある「反転授業」について伺いたいというのが一つ、そして昨今、COVID-19の文脈で外出や対面することが難しい状況の中で、これがある種「教育のあり方」を考えるきっかけにもなっているんじゃなかろうかということで、「これからの教育のあり方」についてもいろいろ伺っていきたいなと思います。

では最初に、杉森さんに簡単に自己紹介をお願いしたいと思います。

高校と大学の学びをつなぐ

杉森 はい、よろしくお願いします。
改めて皆さんこんにちは。金沢大学の杉森と申します。

私自身は理科教員になりたくて、学部は化学を学びました。そのあと、教員採用試験に何回かチャレンジしたんですがなかなか受からなくて、ご縁があって金沢大学に進学しました。

気づいたら分野が変わって、「計算科学」という、計算機の中でフラスコを振るというようなところで博士課程を出ました。

私立大学でそのあと職を得ました。大学の1年生に、例えば、コンピュータの使い方、大学での学び方を教えたり。

あとは、高校で化学や生物を学んでこなかったけど、その私立大学の中では例えば、理学療法士、作業療法士や看護師など、化学の分野に進まなきゃいけないといった学生がいるんです。

当時「リメディアル教育」という言い方をしていたんですけど、高校の学びと大学の学びに少し谷間があって、そこを繋げていくというところから始めて、教え方を学ぶいうことも大学教員には必要なのかなと感じたんです。

学ぶのは「教え方」

杉森 それで、人材開発や教育開発という分野に近づいていきました。

私自身は「アクティブラーニング」、学生が自分自身で学び方を学んで、自分の将来のあり方、ありたい自分とか方向を見つけていくのを考えていたんですけど、そのとき出会ったのが「反転授業」です。

講義に来て、ただ座って話を聞くぐらいだったら、ビデオを先に見てきて、対面で集まるところでは、わからないところを学生同士で学び合い、教え合いながらしていくというのが、いいやり方の一つなのではというのを研究し始めました。

あとは、教員自身は専門性は確かに高いんですけど、伝え方、教え方、学びを支援するというところについては、今までの大学とはあり方が違っているということ。

教員研修の専門職域と私は思っているんですが、そういったところで、7年前に母校の金沢大学に戻りまして、化学ではなくて、教育開発のところで、年間で40回、今まで200回ぐらいは全国各地の高校、大学、職員、教員、様々な方に研修やワークショップをしてきました。

若原 ありがとうございました。既に自己紹介いただいた中にも気になるキーワード満載という感じだったんですけど、早速ここから杉森さんにお話を伺っていきたいと思います。

では、先程杉森さんの自己紹介の中にも出てきたキーワード、「反転授業」。

これまでは講義を受けるというのは、大学という場所に行って講義を受けていた状態でしたが、自宅で事前にオンラインで講義を受けた上で、大学へ行って、その受けた講義の内容を踏まえてディスカッションをするなり、ワークをするなり、そういった授業だというのは、私もなんとなくは理解しているんですけど、実際そういうことに取り組まれてきた杉森さんから、そもそも反転授業とは?みたいなところから詳しくお話を伺えたらなと思います。

「反転授業」はアメリカ生まれ / 授業を収録する

杉森 反転授業が生まれた背景は、2000年代のアメリカの高校教育から始まった、草の根の運動だと聞いています。

若原 高校からなんですね。てっきり大学の話かとずっと思っていました。

杉森 私も初めそう思っていました。

東京大学の反転授業の第一人者のアーロン・サムズさんという方が講演されるとき、私も実際、来日のときに東京へ行って、その研修を受けてきたんです。その方は高校の化学の教員だったんですね。

なぜその反転授業を始めたのか?というのを聞いてみたんです。

バーグマンさんとサムズさんという2人の方が同僚としているんですが、どうしても高校の授業を出張とかで休まなきゃいけないと。そうすると、「代わりにやってよ」と代行を頼むわけですね。

ところが、同じことを喋るぐらいだったらビデオに録っておこうか、ということになり、ビデオに録って聞いてもらったら、意外といいなと。

じゃあそれ、当時DVDやiPod touchとかが出てきていたので、DVDとかUSBメモリの中に入れて家で見てきてよと。そしたら結果、授業中暇になっちゃったという。

高校化学だから、僕わかるんですけど、実験したいんですよね。大学進学のための受験対策って結構つまらないところがあって、なるべく実験の時間とりたいということに気づいちゃった。

対面の価値

杉森 じゃあ対面の価値ってなんだろうと思ったら、ビデオを見てきて、わからないところを教え合うとか、深めていくこと

より進んだ内容を、プロジェクトを組んでいくとか、生徒が学んだことを何かに応用したり。

太陽電池を使って、自分のスマホの充電を先にしておきたいという、ストレージみたいなものを作っておきたいとか、いろんなことを思うわけですね。

そしたら、いろんな時間が生まれて、可能性も増えてきたという。そういう草の根の運動が2000年代にあったんです。

MOOCとは

杉森 その流れで、サルマン・カーンさんという方は、「カーンアカデミー」という、遠く離れて住んでいる自分の姪に、数学や算数を教えるビデオを作り始めたんですね。

それが今で言うMOOC(ムーク)という、大規模無料公開のオンライン大学の運動につながっていくんです

授業で教えてもらっても、学生や子どもたちって授業は座って、一生懸命ノートをとるんですけど、授業は止まらないんです。ストップしない。

ところが、そのカーンさんのビデオは筆跡がしっかり残っていて、間違った、って消したりとかやっているんです。それって授業そのものなんですね。

Zoom越しに目が合う体験

杉森 今こうやってZoomで話をしていますけど、若原さんと私、目が合っているんですね。

1対1なんです。1対1万人、1対100万人であっても、受けている側は1対1と。

なので、反転授業というのは、昔は逆転授業とか、リモートの一つの形態だと言われたんですが、「フリッピング」と言うんですね。フリッピングってイルカがくるっと反転するというニュアンスがあるんです。

もっと軽快に、授業をくるっと回転させてしまって、学生側、子どもたちの手に渡す。子どもたちは授業のビデオを止めたり、早送りしたり、巻き戻したりして、授業のコントロールを手に入れるわけです。

学びの主導権の反転

若原 なるほど。僕は表層的な理解で、反転するものって、自宅と大学の役割が反転するのかなと捉えていたところもあるんですけど、本質は学びの主導権をどちらに渡すか、という反転を指しているんですね。

杉森 そう思います。その反転授業の研修やワークショップに行ったときも、教員たちは一生懸命ビデオの作り方とか聞きたいんですね。

みんなどうやったらもっと詰め込めるか?って、2012年、13年当時は思っていたんです。でもそれって、わざわざ対面で集まる必要なくて。

待て待てと。こういう講演こそビデオで聞いてきてやるべきなのに、反転授業を学ぶ教員たちが従来の学び方、いい教え方があるからそれを受け取りたいっていう、サービスの受益者、消費者みたいな状態で集まっているのを見て、全然反転されていないというのを気づいちゃって。

教壇から降りてファシリテーターへ

杉森 サムズさんに聞いたのは、反転すべきは私たちの考えであって、私たちこそが壇上の賢人からファシリテーターへ壇の上から降りて寄り添う支援者になるというメッセージがあるんです。

私たち集まっている教員自身が、壇から降りていないじゃないかと。そういうことを聞いたんですね。

そしたら、そのとおりだなという理解を、お互い共感したなということを当時思いました。役割が変わっていくというのは、変わった言葉で、理科とか化学に紐つけると、「パラダイム転換」とか「パラダイムシフト」って言いますね。

若原 聞きますね、その言葉。

杉森 パラダイムシフトっていうのは、天動説とか地動説の話ですね。それがパラダイムの話なんです。考え方の枠組みがひっくり返る。「コペルニクス的転回」とも言います。

「それでも地球は回っている」と言ったガリレオが、宗教の抑圧の中で言われていた人たちというのは、しっかりと科学でそういう考え方を身につけたら、ものの見方が変わったり、人間性を取り戻すようなところというのも、パラダイムシフトという言葉の裏側には隠れているんです。

地球が中心になって太陽が回っているという考え方を、ふと視点をずらすと、太陽中心に地球が回っていても同じこと説明できるよねと。否定してないですね。

私自身、教育改革ということはあまり好んでなくて。私たちは変わらなきゃいけない。でも今やっていることって、不易の部分があると思うんですね。

でも私たちが教えて、彼らに伸びてほしいと思っている部分を大切にしながらも、ちょっとものの見方をフリップすると、私たちが何をしたって子どもたちは学び取ろうとしているし、子どもたちが学んでいくのを支えるために、私たちの考え方やマインドセットはどんなふうに変わればいいのか というのを考えてみたら、授業や講義にこだわる必要はなくなっていくと思うんですよね。観念的な話をしてしまいましたけど。

若原 いえいえ。主観から客観、絶対から相対みたいな、そういう視点の転換をもって教育を捉え直そうという話はすごく面白いなと思います。

草の根的に出てきた動きがその後の教育のあり方を、さっきの杉森さんの言い方で言うと、「覆す」というわけでもなくて、新たな見方を生み出すという流れにつながっているというのは非常に面白い話ですね。

オンライン授業はキャズムを越えた

杉森 なにかに揺さぶられて、そのやり方をとろうかというのはよくあると思いますが、コロナ禍で私たちが遠隔やオンライン授業という土壌に否応なしに手を出さなきゃいけなくなったのもそうです。

でもやり始めると、これでもいいじゃないかと気づく。それはイノベーターの理論で言えば、キャズムを乗り越えるという言い方をするんですけど。

若原 今、まさに各所でそういうことが起こってそうですね。

杉森 5年前に誰も聞かなかったことが、今だったら、みんなビデオ録り始めたりしているので、今だったらわかる。大多数派になっていく感じですよね。

若原 話がずれるかもしれないですけど、未来予測のワークショップとか、シナリオプランニングをするワークショップとかありますけど、今の時期にやったら、結構面白い結果出るんじゃないかなと。

あの手のワークショップって、どれだけ先入観に縛られずにやるかが大事だったりするじゃないですか。そういうことをやるのにすごくいい時期なんじゃないかなというのは思ったりもしますね。

改めて、その反転授業、もう1個なるほどと思ったのは、最初はリアルタイムでオンラインで授業をするということが必ずしも前提ではなかったということ。

録画したビデオを使って、そのメディアを届けて、それを視聴しながら学習するというのがはじまりだったという。

杉森 そうですね。そのあとYouTubeの登場がありますから、誰しもどんな環境でも聞けるという。ユニバーサルに聞けるという状態になっていきましたね。インターネット前夜の出来事だった。

「アクティブラーニング」と反転授業

若原 アメリカでの草の根活動が発端で生まれた、その反転授業という考え方なんですが、今日本で言うと、どのくらい広まっているとか、どんな場面で活用されているとか、日本における現状みたいなことを伺えますか?

杉森 平成24年ぐらいに大学教育の質的転換を促したいという、文部科学省が通知や各種の答申を出した時代がありまして、それが5、6年前になります。そこで出てきたのが「アクティブラーニング」という言葉です。

クリッカー装置を使って、ボタンを押してそのときの応答を聞いたり、ビデオを事前に見てきて「課題解決型」、「プロブレムベースドラーニング」や「プロジェクトベースドラーニング」で、教室の中で課題解決や課題発見をしていくような授業をしていく必要があると言われ始めたんですよね。

特に理工系は、ものづくりとか、実際の問題を解くということもそうですね。取り組みやすいところもあるでしょうし。法学や経済でも、ケースメソッドに沿って仮想のシナリオを使って課題解決をしていくと。1対1の課題に対しての答えがあるのではなくて、答えを生み出して解決をしていくという授業は、いろんなところであったと思うんですね。

そこにバトンが行ったとき、改めて、オンデマンドと言いますけど、持っていた教材をどう事前に届けているか、または教室の中でも届けつつも、教師が何かを伝える場面を少なくして、活動量を増やしていくか。そういうアクティブラーニング運動は、大学教育の中ではかなり進んでいました。

私たちの大学でも10年以上前から、全員がノートパソコンを必携化で、学習管理システム、今で言えばあまり馴染みないかもしれませんけど、「LMS」という、「Learning Management System」というデータプラットフォームの中に教材やビデオを置いておいて、それを通じて課題の提出や掲示板でのやり取りを行うような、大きなプラットフォームを大学が持っていて、そこをやり取りしていくという、今で言う「オンライン大学」の走りみたいなことをずっと整備していたんです。

そういう大学は、一部の教員が反転授業に取り組んできました。そして、「アクティブラーニングのやり方」とか「授業の作り方」を学ぶことになってきたという段階にありました。

若原 お話を聞いてると、僕の不勉強さをしみじみと実感しているんですけど、アクティブラーニングと反転授業というのは僕はこれまで別物だと思っていたんですね。

違う世界の話だと思っていたんですけど、今の話を伺っていると、アクティブラーニングという学び方の中の手段の一つとして反転授業みたいなやり方がある感じなんでしょうか?

杉森 私はそう思っています。

「アクティブに学びなさい」という矛盾

杉森 アクティブラーニングという言葉が独り歩きしていますが、聞くだけじゃなく、話す、書く、発表する、作り出すという活動を総称された学び方のことなんです。

変な話、教員が「アクティブラーニング」という言葉を使うんですけど、ラーニングって「学び」じゃないですか。学び手や学習者がアクティブラーニングの状態にあるというのが正しい使い方なんです。

ですが、教員が、今からアクティブラーニングをしますよ、と言った瞬間に、それはちょっとずっこけるんですよね。

今からアクティブになってくださいとか、主体的、自発的に取り組んでくださいって、誰がしますかね?そういう語彙矛盾というか、強いられたアクティブと、勘違いされています。

話を戻しますと、アクティブというのは、「活動」のことなんです。人が何かに取り組んでいて、自分事にしたときに初めて頭が活発になって、与えられた知識が自分の体の一部になっていく。こういうのが、学び、身につけるということだと思うんですね。

でも教員は、研究者なので専門性を元にしてしまい、伝えたいこと、これも、あれも知ってなきゃいけないと思うんですね。そうすると時間がなくなってくるんです。

それをどうするかというと、いいビデオ、いい教材、教科書を作ったから、事前に解説しておくから、授業の時間はアクティビティを採り入れたいので、ただ聴いておけばいいことは、隙間時間にスマホで聞いてきてね、と。授業では議論をしたい。そうすると、両立するんですね。伝えたいことがある というのと、身につけてほしい ということが両立する。

アクティブラーニング型授業を入れようと思ったら、必然的に知識量の話が出てくるので、「反転授業」と、それから「プラットフォーム」。

または、伝達手段である様々な「クラウドサービス」、YouTubeも含めて。今、実はポッドキャストで録音しているわけですけども、これもすごく重要な反転授業のツールなんです。

私たちの対談やポッドキャストを聴いてきて感じたことがあれば、という論題を出しておいて、そのレポートを提出してもらったら、私は同じ話を何回もしなくていいわけです。

映画の感想を語り合うように

若原 今伺っていると、アクティブラーニングという大きな概念の中で反転授業を上手く成立させるためには、授業を単にオンライン化すればいいわけじゃないっていうのはなんとなく思いました。というのは、今、反転授業の様子を普段の生活になぞらえてみていたんです。

例えば、私と杉森さんが何か一緒にカンファレンスに出て、同じセミナーを聞いたとします。聞いたあとに感想を話し合いたくなるじゃないですか。

もっと言うと、例えば、恋人と映画を観に行ったとき、観に行ったあと感想を語り合いたくなるみたいな。それって、同じインプットを受けた上で、それについて自分たちで意見を言い合って、ある種、理解を深めたりとか、自分の中に定着させたりとかしていると思うんです。

そういうことを、自然に学びの場でも起こすということなのかなって想像してみたんです。

そうなったときに、終わったあとに自然に意見が言いたくなるようなコンテンツの出し方が大事なんだろうと思うと、普通に教室で授業しているものを録画するだけじゃない世界が恐らくあるんだろうな、っていうのは想像できました。

杉森 そのとおりですね。

教員は触媒役

杉森 「反転授業」という道具を手に入れた私たちが次やることは、ファシリテーションで、これが一番難しいんですよね。自然に話したくなるには、話したくなる相手じゃなきゃいけないんですよね。

だから、アイスブレイクや自己紹介から始めるわけです。

今日集まってきて、「私たちはこういうことを議論したい」と思うんだけど、その前に「ビデオで見てきたことについて、感想を一言ずつ言いましょう」と。これ、「チェックイン」と言いますね。初めに、ウォームアップのためにチェックインをする。

チェックインというのは、ボストンのMITの優れたファシリテーターであるピーター・センゲという人がいますが、彼によれば、「私がここにいる」というメッセージをその場に置くというのがチェックインだと。

チェックインカウンターに行ったり、Facebookでここにいるってチェックインするじゃないですか。
私はここにいて、こんなことを思っていますよ、という存在をその場に放り投げて、その容器の中に置いておくと。

それで、そこからあなたと私の考えていることが違っているならば、何か生まれてくるわけですね。私がここにいるよってチェックインしたあと、生まれてくるものをじっと培養するとか、反応を待つ。教員は、その反応をする教室を整えて、学習環境を整える触媒役になると。

化学反応と同じなんですね。

失敗を見せる、目線を合わせる

杉森 反転授業の中で言われているのは、教師はインストラクターではなく、ファシリテーターであるということと、学習環境と教材のデザイナーであると。「人」と「人」を出会わせるための橋渡しになる。

そういう時って、さきほどと同じで、じゃあ話し合え、と言われたって出ないわけです。同じ方向を向いているクラスルームで、同じところを向いて、同じことを作業するという、そういう環境だとなかなかできない。

じゃあ、お互いに向き合ったりとか、リラックスできるムードの中で話をするという環境づくりをまず教員が実践していく。失敗を見せていくとか、寄り添っていったり。

目線を合わせたりというのが、一番年齢を重ねると難しくなっていきますが、それを我々がしなきゃいけない。教員自身の学びでもあるんですよね。

若原 なんかこう、アクティブラーニングって言葉自体を聞いた方は少なくないと思うんですが、どちらかというと学生の立場から「アクティブラーニングってなんだ?」って捉えている人も多いような気もしていて。

教える側の価値観の変化とかシフトって、なかなかお話伺っていると、聞いたことがなかったような気がするんです。

教育に関する素人の感覚からすると。確かにそういった観点からの教育のあり方を考え直すのは面白いですし、やはり両側から考えないと成り立たないんでしょうね。

杉森 そう思いますね。

従順な労働者を育てることを目指すのか

杉森 学校って理想的な社会の器であると思うんですけど、よく言われるのは「学校がずっと変わらない」とか「教員は社会のこと知らない」って揶揄されます。

若原 よく言われますよね。

杉森 そうですよね。でも、会社と学校はどう違うのかってことです。教員も社会人です。自分の家庭があり、地域があり、専門分野や関心を持っていることがある。

我々が学んでいる状態に駆動される、駆り立てられるように、子どもたちが学ぶ。私たちは、学んでいる者にしか学ぶことができない。そう思うんですね。

定形のことを教えて伝えるってことが、「伝達者」や「伝道師」という職業にみれば、それは確かに、機械的な、工業化社会の中で従順な労働者を生み出していくって、時には今の教室の環境や教え方って良かったと思うんですよね。ペーパーテストで丸つけて、5段階で選んでっていうのも大企業の登場と同じ時期に生まれたんです。

社会を創る主体

杉森 ペーパーテストが生まれて、たかだか100年。黒板が生まれて200年でしょう。書いて写すとか、それで覚えたことを吐き出すようにって。私は、それを「テープレコーダー学習」だと思っているんです。

テープレコーダーって今は言わないので、ICレコーダーですね。教員が吹き込んだ通りに出すものって、それは私たちの仕事なのかな?って思いますよ。

だから、教員が学ぶ、社会とつながっている状態で、一緒になって学んでいく。アクティブラーニングって何か?っていうと、「アクティブラーナー」や、「アクティブシチズンシップ」という概念があります。社会を形成する主体。主体的な学びではなくて、逆なんです。

学んだ結果として、「私は社会をこういう風に作っていくんだ」っていう主体なんですね。

だから、「サブジェクティブラーニング」っていう話でもなく、人から与えられたものをまた与えていくっていうのではなくて、受け取ったものを自らのものにして、社会を創っていく一員になるという状態を目指すとすれば、アクティブラーニングは学び手に返さなくてはならない という風に思いますね。

自立性と自己裁量 / 自律的なアクティブワーカー

若原 今の話は、教育に閉じた話ではなくて、もっと普遍的な話なのかな?と感じもあってですね。

私、前職で働き方の研究に携わっていたんですけれども、自律性や自己裁量って強制されて生まれるものではなくて、それをいかに促すように振る舞うかっていう話なんです。

先程、「教える側」と「教わる側」のお話をされていたと思うんですけど、それは企業の中での「管理職」と「一般社員」の間でも成り立つ話なのかなと、聞いていて思いました。

特に今、外出自粛でリモートワークしている中で、自発性を持って働くべきシーンも結構増えてきていると思うんです。

離れているからこそ自分で自分を律して自発的に働きなさいって強制的に言われること自体、やっぱりおかしいんだろうなって。

そう思うと、自発的に働く社員、さっきの話でいうとアクティブラーナーになぞらえるとアクティブワーカーみたいな、そういうワーカーをいかに生み出せるかっていうのが働き方改革のひとつの本質なのかもしれないなと思いました。

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最後までお読みいただきありがとうございます。

第1回は以上です。いかがでしたか?
杉森さんとの対談は 1.7万人の大学教員によって語られはじめた「学びの未来」(ゲスト : 杉森公一さん第2回)へ続きます。

トレジャーデータ株式会社

2011年に日本人がシリコンバレーにて設立。組織内に散在しているあらゆるデータを収集・統合・分析できるデータ基盤「Treasure Data CDP」を提供しています。デジタルマーケティングやDX(デジタルトランスフォーメション)の根幹をなすデータプラットフォームとして、すでに国内外400社以上の各業界のリーディングカンパニーに導入いただいています。
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